転職活動の話

【学歴コンプレックス】克服するには現実を受け止めるしかない。

どーも「N・W・ごりら」です。

☆新卒で入社
→ 1度目の転職で東証一部の安定企業からスタートアップに飛び込む
→ まったく自分には合わず半年足らずで退職
→ 妻子がありながら無職期間を経験
→ 2度目の転職で自分にあった会社に入社
→ 穏やかな気持ちで日々を過ごす

という経験をしてきた僕だからこそ、お話ができる話を綴っていきたいと思います。

語るごりら
語るごりら
本日は、自己肯定感を持つことが出来なかった自分が、少しだけ自己肯定感を持つことが出来た話を話していきたいと思います。

「人と比較をしない」って難しいですよね。
今日はそんな話を綴っていこうと思います。

僕は自己肯定感が高くありませんでした。
今も決して高くないのですが、色々と経験をしている内に少しだけ自己肯定感が高くなった気がしています。

僕が自己肯定感を持つことが出来なかった大きな原因が「学歴コンプレックス」です。

自己肯定感を得るまでに

人生のターニングポイント

・中学時代、スパルタ塾に通い、県内トップレベルの進学校に進学。
⇒スパルタ塾というドーピングがきれて、高校では落ちこぼれに。
⇒進学校というプライドは捨てられず、E判定なのにも関わらず早稲田しか受験をせずに浪人。
⇒一浪するも早稲田・慶應には受からず、滑り止めのFラン大学に入学。

☆ここまでがターニングポイント①

⇒高校の同級生は、東大・京大・国立医学部に進学しているのを見てモヤモヤ。
⇒高校の同級生が、官僚、外資系コンサル、総合商社に就職をしているのを見てモヤモヤ。
⇒就職活動をしっかりと行い、東証一部上場の企業に就職。

☆ここまでがターニングポイント②

⇒高校の同級生たちと比べて、明らかに年収が低いことに落胆。
⇒同期入社したエリート組(学歴高)との出世の差が如実に出る。
⇒スタートアップに転職をしてみるも見事に失敗。年収だけ下がり余計に惨めな気持ちになる。

☆ここまでがターニングポイント③

⇒自分の中で今までの経験を整理し、もう一度転職活動をし、新しい会社に勤める。
⇒何が自分には大事だったのかをすることができ、昔よりも卑屈ではなくなる。
⇒そして今少しの幸せを感じている。

☆ここまでがターニングポイント④

☆ターニングポイント①

僕は大学受験での失敗をずっと引きずっていました。
進学校に合格したものの、そこで満足をしてしまい勉学を怠り、成績は悪いのにプライドだけは高い

「俺は頑張れば早稲田・慶應なんて余裕で合格する」って頑張らないのに思っていたわけです。

浪人しても早稲田・慶應なんて夢のまた夢なのに・・・滑り止めのFランしか合格しなかったため、そこに仕方なく進学。
授業のあまりのレベルの低さに絶句。英語の授業で「daughter」の意味を知らない大学生が通う大学に4年間も通うのか・・・と惨めな気持ちになりました。

自己肯定感は下がる一方。

☆ターニングポイント②

惨めな気持ちで大学を通っていた学生時代。

年に2回ほど同窓会のような飲み会が行われ、そこで高校生の同級生たちとよく顔を合わせてました。
自己肯定感は低いけども、別に高校の同級生のことは好きでしたので、こういう集まりには多く出席していました。

そこで、いわゆる高学歴の奴らと会話をするわけです。
そうなると「学生にも関わらず企業をした奴」とか「医学部の男しか参加できない合コンに参加した奴」とかとか、今思えばなんて事のない話なんですが、なんせ卑屈になっている僕は、そういう話を聞いては、さらに惨めな気持ちになるという・・・(なら、そんな集まり行くなよって感じですが)

そして、僕は1年浪人しているため、ストレートで大学を卒業をするやつは僕よりも早く就職をします。
そのタイミングでもさらに惨めることが。その就職先が凄いんですよね・・・

官僚・電通・博報堂・総合商社・メガバンなどなど。おそらくFラン大学に通う僕がどれほど就職活動を頑張ったところで、書類選考も通らないであろう企業ばかりだったんですよね。

ただ、「学歴コンプレックスを打破するためには、就職活動を頑張って有名企業に入ればいいんだ!」と思うこともできたため、
そこから真面目に就職活動を行い、東証一部上場でそれなりに有名な企業に就職することはできたんです。

☆ターニングポイント③

無事東証一部上場の企業に就職。
店舗の販売員スタートということもありましたが、自分の中では仕事は楽しく、それなりに収入もあるように感じていたので、スタートは順調でした。

しかし、同級生たちは一流企業ばかりなので、たまに会って年収を聞くと、自分の収入との格差に落胆を隠せませんでした。
そして、社内でも1年ほどすると、出世コース組が続々を本社に異動になり、ここでも格差に落胆をしてしまいました。

自分も遅れて、運よく本社に異動することができましたが、格差は埋まらず、キャリア採用と出世コースのプロパー社員で社内の管理職が埋まってしまう現実も垣間見えたため「転職するか!」と考え、1年ほど転職活動を行い、WEBマーケティングを行っているスタートアップ企業に転職をしました。

「俺はこの会社と共に成長をして、役員になり、この会社を上場させるんだ!」と今までの惨めな気持ちを払拭させるため、仕事に没頭しました。

しかし、現実はそんなに甘くない・・・仕事は順調で、早い段階でマネージャーに昇進までしましたが、代表の経営方針、お金に対しての考え方があまりにも自分の価値観とはかけ離れており「ここで働くのはもう無理だ!!」と思い、次の転職先を決めないまま退職してしまいました。

☆ターニングポイント④

無職になった僕ですが、当時は結婚もしており、子どももいたため、早く転職先を見つけないといけないという状況でした。

会社を辞めたいと妻に伝えたとき、反対もせず僕の気持ちを受け入れてくれた妻には本当に感謝でした。
僕ならすぐに転職先を見つけて、働いてくれると信じてくれた妻には本当に頭が上がりません

。幸いにも貯蓄は少なからずあったため、すぐに転職活動は行わず、今での人生を振り返りながら「これからどう生きていくのか?」ということを考えてみました。

・どんな仕事がしたいのか?
⇒特にない。収入が安定していればそれでよい。
・自分はどんな何ができるのか?
⇒販売員・VMD・WEBマーケティング・法人営業・DTPデザイン。
・学歴コンプレックスとどう向き合う?
⇒今から学歴とか考えても無駄。Fラン大学卒を受け入れるしかない。
・何が幸せ?
⇒家族と普通の毎日を過ごすこと。
⇒子供が寝た後にゲームをする時間。

・今後どうなりたいのか?
⇒子どもが社会人になるまで何不自由ないように育てたい。
⇒FIREをして、仕事をしなくても生活できるようになりたい。
⇒ゲームは続けていき、ゲーム界隈で少しは有名になりたい。

至ってシンプルにまとまりました。自分がなりたい、やりたいことを達成するためには、他人は全く関わることはありませんでした。そもそも、学歴・年収という比較してしまいがちな指標は、上を見ても下を見てもキリがなく、自分の立ち位置が分かるものではありません。僕は子どもを大学には進学させたいと思っているため、それなりに収入は必要ですので、子どもを大学進学させられる金額を稼げばいいのです。FIREしたいので、節約しながらお金を貯めつつ、投資をしていけばいいんです。ゲームができるくらいの金銭的な余裕と、時間の余裕があればいいんです。これさえあれば、僕は幸せなんだなとこの無職期間に理解することができました。

そこからある程度の収入を得ることが出来て、自分のスキルが通用する業務で、休みの日は仕事に追われないような企業を探して、なんとか転職することができました。この会社は社名は有名ではありませんし、扱っている商材もいぶし銀の商材です。そんな企業ですが、楽しく仕事をして、楽しく休日を家族と過ごし、平日の夜はゲームもできています。

これでいいんだなと。無職の期間は無駄じゃなかったんだなと。
紆余曲折を経て、やっと大切なものが見えた気がします。

結論

自分が一番大切です。時間をかけてでも自分の中で情報を整理することをお勧めします。

今日でごりらは15歩進んだ。